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【死に方の幸福論】生命を投げるか失うか

2021年にWHOが公表した世界各国の自殺と他殺が記載された相関図では国家内での不満が溜まった場合、自殺と他殺両方が増えるのではなく片方のみ上昇することが分かる。殺人が多くなるほど自殺が少なくなり、自殺が多いほど殺人が少なくなるのだ。自殺が多い国か殺人が多い国、どちらが幸福と思えるか。持続可能開発ソリューションネットワークが公表している2022年世界幸福度ランキングでは日本より幸福度の高い国家に世界で最上位に殺人の多い国が幾つも上がっている。本ブログは殺人を肯定することは無いが、常に死がある環境とそうでない環境では幸福に違いがあることを哲学や心理学、個人的な意見などで解説する。人は育った環境に適するために価値観を作り出すと考えられており、これを文化心理学と呼ぶ。死の価値観も各国の環境によって変化する。日本を分析するとインフラが高水準を維持してる故、全ての国民に学問を教えることが可能だ。これにより国民性が高いことから殺人や事故が非常に少なく生まれるのも亡くなるのも大半は病院のベットになる。と畜場法が適応される日本において動物の屠殺なども一般人が目にすることは無い。死を見学することが他人の葬式のみで、動物や人間の遺体などを見る経験が限りなく不可能になり、死が非日常の枠で生の反対は死といった価値観が作り上がる。次に殺人の多い国家にとって死は日常茶飯事だ。と畜場法が無いため食料として家畜を屠殺する事を目撃するのが当たり前で、頻繁に発生する殺人に慣れていることから、遺体を見ても警察に通報しない他、新聞の一面に載せたりすることもある。周りの誰かが殺されてもおかしくない環境で培った価値観は生の中に死があると形成される。これらがどう影響するか。ルフレッド・アドラーが生み出した優越感とは、自身よりも優れている人間がいた場合劣等感が生じ、これを打ち消すために他人より優れた能力を発揮するか、自身よりも怠る他人を探すことで得る集団で生き抜くための本能である。生の反対は死である価値観では死が存在しないが故に生きてる事が前提の上で社会的立ち位置を決めてしまうことから目に見えないマニュアルが作られてしまう。目に見えないマニュアルとは法律や条例とは別に実際には存在しないが従わなければいけない心得のようなものだ。日本で例えば国民は一定の友達を必要とし恋愛と労働を経験し一人暮らしを遂行しなければならない。義務では無いが可能でない場合劣等感が与えられる。しかし生の中に死がある国家に関しては死ぬことが当たり前の上で社会的立ち位置が決まっていることから目に見えないマニュアルが存在しない。死そのものが生きている者全てに優越感を与えるツールになっていることで、国民全員が精神的に安心した状態を保てる。つまり皮肉にも殺人が多い事で日常に死がある国家が幸福度が高い理由であると推測する。心の豊かさとは何か。社会的位置・経済力・快適・治安等を考える者が大半を占めるだろう。だが江戸時代から現在に至るまでこれらは大幅に飛躍しているが豊かだと思うものは多くない。そこで今回のブログを踏まえ著者は真の心の豊かさとは死から遠のいた絶対値によって定まると結論づけた。あくまで個人的な意見なので鵜呑みにするのは進めないが、現状を貧しく思いかつ救いが無い方は死を客観的に注視し他人の死に関心を持ち、死と正面から向き合ってみるのも一つの選択肢に入れてみてはいかがだろうか。